gdgdな辺境の地。チラシの裏。
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そこに違いなど、さして無いです。
「どちらが自分達に都合が良いか」 ただそれだけの話です。 というか、この手の話題は古今東西色んな所で言われてる筈だから何を今更、な感じですけど。 で、私がどうしても言いたかった事、書きますね。 何で皆、自分をそんなに軽視出来るんですかね? それこそ良く言われる事ですが、 「自分より、自分の大切な人の存在が消える事の方が怖い」 というのが。 いいですか、自分が死ぬ、という事は 「自分のその『大切な人達が消える事こそ怖い』という思いすら消える事」 なんですよ。 世の中にとってどれほど影響があろうがなかろうが、 「自分」が消えた瞬間、世界は終わるのですよ。当人にとっては。 客観的な意味では、感知できなくなる、という事にすぎませんが。 まぁ私の場合は 「『私』というこの存在(思考パターン)が消える事への恐怖」 が一番強いので、上記のような事を偉そうにのたまう資格がありませんが。 ちょっと死の捉え方が違う気がする。 私の予想するには、死というのは目覚めの無い眠りです。 そうなる事に耐え難い恐怖を感じる、というのは普通だと思うんですがね。 それこそ、鬱病とかの人からすればもうそんな事はどうでもいい、 あるいはもうそんな事考えられない状態になってるはず。 この間、不良の状態を見る為に本社へ向かう途中の車で流れてたラジオで 「大切な人を守るには、まず自分をしっかりと守れている事が大事」 みたいな事を言っていました。普天間さんがんばってるな、という個人的な感想は置いといて。 その通りなんですよね。 困難な状態にある時、「助けにきたよ!」って声があると凄く救われるのは間違いないんですが、 その声の主が、自分と同じように万全じゃない状態で駆けつけてたら? むしろ負担になりませんか。 「自分」がしっかりしてないのに、「周囲」の心配をするのは順序が違います。 とても私が言えた義理じゃないけど。 あくまで自分主観の話で、私は他の人じゃないから。 その人の状態とか知らないから、こういう事しか言えない。 これはあくまで、今でも脛を齧り続ける私の話。 PR |
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